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変わらぬ酷使・・・・ [野球]

今年の甲子園の決勝、金足農対大阪桐蔭の結果を見て(試合そのものは見ていない)、思い出したことがあった。


「決勝で一枚看板相手に大阪桐蔭が大量点を取ったこと、前にもあったよな」と。


沖縄水産の大野倫相手の試合がそんな試合だった。


その頃、自分は毎年東京から甲子園を見に行っていた。だいたいは準々決勝から決勝まで。3回戦から見たこともある。

その頃は、昼間甲子園を見て、夜は神戸グリーンスタジアムでプロ野球、なんていう野球三昧の旅行をしていた。


「確かスコアを取っていたはず」と思って本棚のスコアブックを繰ってみる。


あった。


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1991年8月21日。天候は晴れから曇りへ。風向きは左から右。

大阪桐蔭は4番の萩原(その後阪神)とエースの和田由貴彦(その後東洋大)が看板選手。
ちなみに、この年の大阪桐蔭は、準決勝で当時2年生だった松井秀喜の星陵、準々決勝ではやはり2年生だった三沢興一の帝京を破っている。


沖縄水産は前年決勝戦の天理との戦いで1-0で敗れており、2年続けての決勝での挑戦だった。エースは一枚看板の大野倫。


結果は13-8で大阪桐蔭の勝利。


自分の記憶ではワンサイドゲームだったのだけれど、改めてスコアを見直してみるとすごい打撃戦だった。

まず1回裏に大阪桐蔭が2点を先制。

それから沖縄水産が和田を打ち崩し、4回終了時では7-4で沖縄水産がリード。

それが5回裏にエース大野倫が力尽き、大阪桐蔭が一気に6点を取って形勢逆転。

6回裏にも2点を加えて勝負を決めた。

効いたのはその前の試合までは1番を打っていた5番のセカンド沢村。

4打数4安打(1犠打)で6打点。1人で点差以上の打点を稼ぐ大活躍だった。


このとき、沖縄水産はすべての試合、すべてのイニングを大野倫が投げた。総投球数は773球。

閉会式の「講評」の中で言及されるほどの熱投だったが、このときに肘を痛めてしまって、大野は二度とマウンドに帰ってくることは出来なかった。

彼は大学でも九州共立大でプレイし、プロにも入ったが、それは野手としてだった。


そして今年の金足農のエース吉田輝星。いまその酷使が批判されている。

けれど、約25年前にも同じようなことがあり、同じように批判されていたのに、同じことがまた起こっている。結局また忘れられてしまい、25年後も同じことが言われるのだろう。



全国大会レベルなどでは決してなかったが、自分は中学の時水泳部で平泳ぎの選手だった。

ものすごく練習に打ち込んで、学校記録は作ることが出来た。
けれどそのとき膝を壊して、高校で競技を続けることは出来なかった。


今でも痛く、サポーターなしでは歩けない。

数年前に医者に行ったら、半月板が普通の人の1/3くらいにすり減っているといわれ、半月板を除去しなければ痛みは消えないといわれた。

だからといって、中学時代の水泳を後悔しているか、といわれると後悔はしていない。もう一度中学生に戻れたとしても、同じことをするだろう。


高校野球もそんなものだ、といわれたらそうなのかもしれない。


しかし、本当にそれでいいのか。


甲子園のあり方、今度こそ本当に見直すべきじゃないのか。

タグ:甲子園
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